司馬史観で近現代日本の成功と失敗を統一的に理解できる

 

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司馬史観とは

「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」

「近代化で日本が非日本化したことが先の大戦の根因」

という司馬遼太郎独自の歴史観である。

 

この司馬の歴史観は、1986年~87年にNHK教育テレビで放送された『司馬遼太郎 雑談「昭和」への道』(全12回)という番組で初めて明らかにされた。

この番組は1998年に『「昭和」という国家』という本で書籍化されている。

 

この番組で司馬は以下のように述べた。

 

「昭和20年8月15日の終戦の日に私は自分は何という愚かな国に生まれたのかと思った」

「もしかしたら昔の日本人はもう少しまともだったのではないか?」

「それが私が日本史に関心を持ち始めるきっかけだった」

「そして私の小説は当時22才だった自分自身に宛てた解答の手紙なのだ」

 

私はテレビの前でこの司馬の発言を聞いた時にコペルニクス的な歴史観の転換に直面した気がした。

戦後日本の第二次大戦の敗戦の原因についての考えは「明治以後の近代化が不十分で日本の後進性を克服できなかったから」というものだった。

ところが司馬の考えは「明治以後の近代化で日本の特質が失われたから」という全く正反対の考えだった。

そして司馬の歴史小説はこうした司馬の歴史観に基づいて書かれているのである。

 

戦後の日本の知識人の課題は「近現代日本の成功と失敗を統一的に理解する視点の構築」だった。

しかし、これは日本の知識人にとってフェルマーの最終定理のように難しい難問だった。

その理由は「日本が自力で近代化に成功した原因は日本の歴史・文化が先進的だったからである」「日本が第二次大戦で敗戦した原因は日本の歴史・文化が後進的だったからである」という論理矛盾に陥るからだ。

 

だが、司馬の歴史観に基づいて考えれば論理矛盾は起きない。

司馬の考えは「第二次大戦の敗戦の原因は明治以後の近代化が日本人にあたえた影響の中にある」というものだ。

例えるなら「高い山を一気に登ろうとした登山者が登山の途中で倒れた原因は体力不足ではなく高山病である」という考えだ。

つまり「近代化が人間にあたえる影響」の中に第二次大戦の敗戦があるという考えだ。

では「近代化が人間にあたえる影響」とは具体的に何か?

 

私は『「昭和」への道』の最終回でその答えが解明されると期待して観ていた。

しかし司馬は「ドイツ観念論の影響」「明治維新による中央集権化・画一化の影響」など幾つかの候補を挙げていたが、決定的原因といえるものを指摘するまでには至らず「次の世代の日本人が解明してほしい」と述べるにとどまった。

 

だが、これは次の世代の日本人ではなく現在の世代の日本人で十分解明できると私は思った。

誰でも容易に思いつくと思うが、近代化が人間にあたえる最大の影響は人間の脳が処理する情報量の急激な増大だ。

近代化社会を構成する情報量は、前近代化社会を構成する情報量の百倍以上だろう。

つまり、明治維新以後の急激な近代化で日本人の脳が酷使され、脳が処理できる情報量を越えてしまったために、脳が機能不全を起こしたのだ。

簡単に言うと脳のオーバーヒートだ。

そのため日本人はレミング集団自殺のように対米戦という民族の集団自殺に突入してしまったのではないだろうか。

司馬は『「昭和」への道』の中で「近代化開始70~80年目に起きた大陥没」「昭和に入ってから日本人の意識下で何かが起こった」という言い方をしていた。

 

司馬の歴史小説が「戦後の日本人の日本史に対する自信を回復させた作品」と評される理由は、司馬の歴史小説が「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」という歴史観に基づいて書かれている作品だからだろう。

そして司馬の歴史小説の舞台となる時代が戦国、幕末、日清日露などの戦乱期に偏っている理由は、司馬が「第二次大戦の頃の日本人との比較」という問題意識で歴史小説を書いていたからだろう。

つまり司馬の歴史小説とは「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」という黙示録であり、司馬の歴史小説は全て『坂の上の雲』なのだと私は思う。

 

実は、司馬と似たような近現代史の見方をしている人がいる。

作家の橋本治氏が『二十世紀』で述べた20世紀論はユニークだ。

橋本氏の考えは要約すると以下のようなものだ。

 

「20世紀は19世紀が延長された世紀であり独自の特徴を持たなかった世紀である」

「1980年は19.8世紀なのだ」

「20世紀に起きた特異な出来事の原因はこうした20世紀の特質の中にあるのではないか」

「そろそろ本当の20世紀を始めよう」

 

私はこの橋本氏の考えに賛成である。

20世紀は科学技術の発達で人間の暮らしが飛躍的に便利になった反面、人類史上前例のない大量破壊・大量殺戮の時代だった。

20世紀は人間が人間の偉大さの極致と愚かさの極致を見た世紀だった。

そして20世紀はこうした人間の二面性を包括的に統一された共存在の事実として受け入れるという新しい人間理解の必要性を私たちに学ばせた世紀だった。

 

20世紀がこうした矛盾した世紀になった原因は、橋本氏が言うように20世紀が19世紀が延長された世紀だったからだと私は思う。

20世紀は「19世紀に世界的に拡散した産業革命を更に発展させる」という「19世紀の増幅装置」のような世紀だった。

そのためブレーキのないアクセルだけの車のように人間の精神が良くも悪くも暴走してしまったのではないだろうか。

 

そして日本の20世紀も、日本人が日本人の偉大さの極致と愚かさの極致を見た世紀だった。

つまり20世紀の人類史と20世紀の日本史は相似形であるように私は思う。

もし仮にそうであるならば、日本の20世紀が矛盾した世紀になった原因と20世紀の人類史が矛盾した世紀になった原因は同じなのではないだろうか。

 

例えるなら「日本列島周辺で異常気象が起きている。しかし異常気象は日本列島周辺だけでなく地球規模で起きている。ならば日本列島周辺で起きている異常気象と地球規模で起きている異常気象の原因は同じではないだろうか」という考え方だ。

 

そして近現代日本の成功と失敗の謎も、日本史という「歴史の縦軸」ではなく、20世紀の人類史という「歴史の横軸」の中に解答があるのではないだろう。

 

「歴史の横軸」で考えれば20世紀に世界で起きた特異な出来事の原因は説明がつく。

例えばナチスの残虐行為の原因も、ドイツの歴史文化という「歴史の縦軸」ではなく、20世紀の特質という「歴史の横軸」の中に求めれば説明がつくように私は思う。

ナチスの残虐行為の特徴は「それが戦争犯罪ではなかった」ということである。

 

ヒトラーの大量殺戮の特徴は、まさにそれが戦争犯罪ではなかったという点にある。急迫し興奮した戦場での捕虜の大量殺戮、対ゲリラ戦での人質の射殺、「戦略」空軍による純然たる住宅地域への爆撃、Uボート戦での客船や中立国の船舶の撃沈、これらはすべて戦争犯罪である。確かにおそろしいことだが、戦争が終わったら合意によってどちらの側も忘れたらよいのだ。住民集団全部の大量殺害、計画的皆殺し、人間に対して行われた「害虫撲滅」、これらはまったく別ものなのだ。

        (『ヒトラーとは何か』 セバスチャン・ハフナー著)

 

私はこうしたナチスの残虐行為が、ドイツの歴史・文化・民族性の所産だとはどうしても思えない。

私は性急な近代化でドイツ人の脳がオーバーヒートしたことが、ナチスの残虐行為の原因だと思う。

ドイツの近代化が性急になった理由は、ドイツの近代化の開始がドイツ支配層の判断ミスで大幅に遅れたからである。

 

 

イギリスが産業革命を推進していた頃、東部ドイツのプロイセンでは、イギリス向けの農産物輸出が急増、国庫も大いに潤った。これに対応して、これらの地域では大農業経営、いわゆるユンカー農業が発展、むしろ農民を土地に縛り付ける方策が採用された。軍備の点でも、海軍はおろか工業依存の強い砲兵さえも嫌い、中世的なユンカー支配の農民歩兵が拡充される。ナポレオン戦争当初のプロイセン軍は、フリードリッヒ大王当時よりも中世的組織に逆戻りしていたという。このことが「自由なる労働者」の創出を抑制し、工業社会の形成を遅らせたことはいうまでもない。プロイセンがこの政策に修正を加えるのは、ナポレオンに大敗したショックの結果だが、その影響は一九三〇年代のナチスの台頭の頃にまで及ぶ。最近ナチスの出現に「意図せざる近代化の効果」を見る説が登場したのは、こうしたプロイセンの(そしておそらくバイエルンも)状況を前提としたものである。

                   (『知価革命』 堺屋太一著)

 

では人間が脳を酷使すると残虐なことをしてしまうということがありうるのだろうか。実はありうるのである。

大脳生理学者の大島清京都大学名誉教授は人間の脳の欠陥について以下のように述べている。

 

 

「今日までの人間の歴史は、闘争本能の動力が動かしてきたといってよい」と吉川英治氏も嘆いておられるように、この地球上から戦争による人殺しが絶えたことはない。

ホモ・サピエンスとは「知恵のある人」の意味だが、とても知恵のある人の所業とは思われないことも多い。

そのため、この「知恵のある人」のことを、時としてホモ・スツルツス(愚かな人)と呼ぶのもむべなるかなである。

こういった闘争・殺人に人間を追いやるのは、幸か不幸か、個性を生み出し、私たちをして創造し、思考し、意思決定をしながら自主的に行動させる新皮質の前頭連合野があまりにも発達しすぎたためである。

要するに、何度か繰り返し述べたとおり、ヘビの脳やイヌ・ネコの脳にインプットされている攻撃性というものには、それほどの異常性は認められない。

それは、新皮質からの指令がほとんど働かないために、怒りの感情は大脳辺縁系だけで処理され、それに伴う行動も一過性に終わるからである。

一方、人間はあまりにも巨大な新皮質を所有するため、ここからの指令によって、動物の脳(大脳辺縁系=旧・古皮質)が本来備えている”調和への希求”とか”バランス感覚”といったものが破壊され、歯止めが効かなくなってしまうのである。

意外に思われるかもしれないが脳幹や大脳辺縁系は脳そのものとして完結した存在だが、新皮質という脳は、誠に不完全で欠陥だらけの脳なのである。

というのも、脳幹や大脳辺縁系はソフトウエアがインプットされた小型、ないしは中型のコンピュータにたとえられるように、先天的に情報を備えており、それだけで必要にして十分な機能を果たすように、自然の摂理によってか、はたまた天の配剤によって創られているのである。

一方、新皮質は超大型コンピュータであり、とてつもなく優秀だが、残念ながらソフトウエアはまるで備わっていない。

では、そのソフトウエアをどうやって補ってやるのか?それは生まれた後の、つまり後天的な環境や教育による学習効果に負うわけである。(中略)

そして、いま問題としている人間の攻撃性を考えるとき、孔子朱子の指摘に加えて現代の大脳生理学が到達した成果をも、貴重な教訓として活用しなければならない。

つまり、巨大化した人間の新皮質には、”自然の摂理” は働いておらず、その情報の質によって温厚なジキル博士にもなれば、極悪非道なハイド氏にも変身するわけで、これが「知性や理性を支配する脳は不完全で欠陥だらけの脳」とされるゆえんである。

困ったことに、他の動物と違い「新皮質→大脳辺縁系」という命令系統の力が強烈だという特性が、必ずしも長所としてのみ働いてくれないのである。

何事においても長所と短所は共存しているものだが、この「人間の脳」が、ひとたび「ヘビの脳」や「ネコの脳」からの指令を無視して暴走を始めると、想像を絶するような残虐な行為も平気でやりかねない。

たとえば、宗教戦争イデオロギー闘争の無残さはよく指摘されるところだが、これも人間の脳に特有な「攻撃性」が抱えている宿命的な発露だといってよいだろう。(中略)

誤解を恐れず、端的に表現すれば「人間の巨大な新皮質が暴走を始めると、その奥深くに存在する大脳辺縁系を破壊し、そのため”動物としての尊厳”すら、人間は失いかねない」ということになる。

もっと身近な例でいえば、非常に偏差値の高い学校の高校生などが、時として思ってもみないような残忍な行為にはしることがあるが、これなども「人間の脳」だけを使い過ぎたために「動物の脳」が破壊されて起こった悲劇だと考えていいわけである。

          (『女の脳・男の脳』 大島清著 太文字引用者)

 

先進国病の原因も「近代化による脳の酷使 → 新皮質の暴走」だと私は思う。

ナチスの残虐行為とはその先進国病の最悪の形だったのではないだろうか。

 

人間は必要以上に巨大な脳を持つ動物である。

そのため人間は「人間しかできない偉大な行為」だけでなく「動物すらしない愚かな行為」も理性的におこなってしまう傾向がある。

そして脳を酷使するとそうした傾向が更に強まるのだが、近代化社会は人間の脳を酷使する文明である。

20世紀の日本史や世界史が「人間の偉大さの極致と愚かさの極致を見た世紀」になった原因はここにあると私は思う。

 

今まで私たちは近現代日本の成功と失敗の原因を、縄文以来の日本の歴史という「歴史の縦軸」の中に求めてきた。

そして丸山眞男山本七平も「歴史の縦軸」のみで考えていたので、近現代日本の成功と失敗を統一的に理解する視点を構築することができなかった。

 

「歴史の縦軸」で解明できないのならば「近代化が日本人にあたえた影響」「20世紀の特質」という「歴史の横軸」の中に求める発想も必要なのではないだろうか。

私は司馬史観が解く近現代日本の成功と失敗の謎を以下のように理解している。

 

明治以前の日本の歴史が先進的だったため日本は自力による近代化に成功した。しかし近代化が性急すぎたため、近代化開始70~80年目に日本人の大脳新皮質(人間の脳)は暴走を始め、その結果対米戦に突入してしまった。しかし敗戦と外国による占領という日本史上未曽有の事態は、日本人の大脳辺縁系(動物の脳)を覚醒させる大手術の役割を果たし、日本人は正常な脳の状態を回復した。戦後の日本人はもとの健康体を取り戻した術後の患者である。

 

以上のように考えれば、近現代日本の成功と失敗を統一的に理解することができると個人的に思う。

 

以下は蛇足だが、司馬史観についてドンデン返しと思える事実について述べたい。

1996年2月の司馬の死後に、司馬夫人の福田みどり氏は、司馬の「22才の自分への手紙」という発言、すなわち「司馬の原点が昭和20年8月15日にあり司馬の作品は8月15日への応答なのだ」という意味の発言について疑問を表明していた。

 

司馬夫人は中央公論1996年9月号臨時増刊『司馬遼太郎の跫音』の「司馬さんとの三十七年」で以下のように述べた。

 

「私は『22才の自分への手紙』という司馬さんの発言はウソだと思う」

「司馬さんがそのような暗い気持ちで小説を書いていたとは思いたくない」

「もっと明るい気持ちで書いていたと思う」

 

私はこの司馬夫人の指摘は鋭いと思う。

それはどういうことかというと、もし司馬の創作活動の目的が本当に「22才の自分への手紙」だとしたら、司馬の行動には大きな矛盾があるからだ。

 

その矛盾とは、司馬が「近代化による日本の非日本化の原因とは具体的に何か?」を解明しなかったことだ。

これを解明しなかったら「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」という司馬の歴史観は説得力を持たないし、何より「22才の司馬」が納得しないだろう。

 

私は終戦直後に「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」という独創的な発想ができた男が、戦後50年以上もかけて「近代化が日本人にあたえた影響」の中に日本の非日本化の原因を発見できなかったとは思えない。

司馬は「解明できなかった」のではなく「解明しようとしなかった」のだと私は思う。

 

その理由は、もし日本の非日本化の原因を解明してしまったら、自分の仕事が終わり、

自分が過去の作家になってしまうことを司馬は恐れたからのような気が私はする。

事実1986年の段階で司馬は作家としてピークを過ぎており評論ばかり書いていた。

司馬にとっては「非日本化の原因は何か」を解明することよりも、作家としての自分の名声を維持し続けることの方が重要だったのだと私は思う。

 

もし仮にそうだとしたら「22才の自分への手紙」という司馬の発言は、司馬の創作活動の目的を語った言葉ではなく、司馬という作家の複雑な内面を表現した言葉と理解すべきなのかもしれない。

 

もし司馬が傾倒していたシュテファン・ツヴァイクが司馬の評伝を書いたとしたら、ツヴァイクも「22才の自分への手紙」という司馬の言葉を信じないような気が私はする。

ツヴァイクが代表作『ジョゼフ・フーシェ』を書いた時に、ツヴァイクはフーシュの回想録を全く信用せず参考にしなかったことは有名だ。

私以外の司馬ファンの皆様はこの点についてどのように思われるだろうか?